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「自然のレッスン / 北山耕平」自分のこころの奥底の気持ちと向き合える、都市生活者におくる「スローライフ」ブック。

管理人トーイ
トーイ

僕は悩んだ時や迷った時に今でもページを開きます。北山耕平さんの名著です!

 

都市生活者におくる、街で始めるスローライフ

北山耕平さんの本はいくつか読んでいますが、繰り返し読むのはこの本です。帯に書いてある「スローライフ」は、僕らがイメージする都市部を離れて悠々自適な生活をおくるというものとは違い、もっと根本的な生活に対する意識の持ち方のようなものを指しています。
 
内容は「こころのレッスン」「からだのレッスン」「食べもののレッスン」と3章に分かれていて、文章は散文詩の形式でまとめられています。いつでも気になるところから読み始めることができるし、暗唱するのもいいかもしれません。
 
いわゆる「〜するための50の方法」といったようなハウツー本でも自己啓発本でもないので、内容はどのように取ることもできるし、逆に言えばその時々で文章から受け取る思いも変わってきます。僕がこの本から学んだことの一つは「きちんと自分の頭で考え、ものごとに迷った時は自分が美しいと思うことを選ぶ」です。
 


 
 

著者について / 北山耕平

作家片岡義男との出会いが契機となり、立教大在学中の1973年、植草甚一編集の雑誌「WonderLand(ワンダーランド、通巻3号より「宝島」と改称)」の編集メンバーとしてその創刊から参加。のち(1975年1月号、公式には同年8月号から1976年6月号まで)編集長(4代目)となる。当初から小泉徹の名で寄稿していた(「長谷川海太郎伝」など)が、1975年1月号より筆名として北山耕平を名乗る。
 
「全都市カタログ」に始まる「別冊宝島」を刊行するなどし、同誌は大胆な編集方針で日本でのサブカルチャー誌成立初期に、その方向性について決定的な役割を果たす。(やがてそれらは植草甚一が'創刊当初に思い描いた新雑誌の青写真とは、いささか懸け離れたものになっていった'という事が、“植草甚一編集”最終号の辞で明らかにされる。が、同時に“ぼく自身はスタッフの編集ぶりがすっかり気に入っていた”ともいう。―『宝島』1976年7月号「扉の言葉」)
 
宝島社退社後には「ビックリハウス」「mc Sister」「GORO」などの雑誌に執筆。雑誌「POPEYE(平凡出版-のちマガジンハウス)」に、やはり創刊時(1976年6月)から編集者として参加する。また、同誌特派員として5年間アメリカ・ロサンゼルスに居住。1980年代には小学館発行の写真雑誌「写楽」、同社刊「日本国憲法」の制作、雑誌「BE-PAL」の創刊に参加。経歴からも分かる通り、日本での'70~'80年代の数々の人気娯楽雑誌に成立時期から関与し、主として戦後のアメリカ文化が持つ様式美や精神的価値を語ることで無視できない感化力を見せた。
 
アメリカ在住時の1979年、ネバダ州の砂漠地帯でのアメリカ先住民族の老人“ローリング・サンダー”との出会いをきっかけに、環太平洋の先住民族とその精神世界に関心を深める。'80年代から現在に至るまで、そうした分野の研究・紹介を精力的に行っている。

引用:ウィキペディア / 北山耕平 より

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